毎日いいなって思えたらいいな

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母ちゃん椅子

今、私は2歳の息子の椅子である。

家にいて床に座るとほぼ彼の椅子である。バタバタ用事をして家の中を走り回っている時、二歳の息子はゾンビみたいに両手を前に出して  ア"ーーーーーア"ーーーーーー  と唸りながらついてくる。そしてタイムリミットの10分というボーダーラインを過ぎる頃、ヤイヤイ言いそうだなー…もうそろそろ限界かな?と感じたとき、床に座り私は彼の椅子になる。ゾンビはたちまち落ち着きを取り戻し人間の小坊主に戻る。

あぐらをかいてその足の上に彼が座ったとき、もうすぐ私の顎に彼の頭が付きそうなくらいの今しかない特別なサイズ感でちんまり収まっている。母ちゃん椅子に座るために存在する愛しく特別なサイズ感、である。母は椅子になっている間も洗濯物を畳んだり、床をコロコロして埃を取ったり、おもちゃが散らかっている周囲を整えたりとソワソワしてしまうのだが、一番好きな椅子での過ごし方は息子の坊主頭を顔でスリスリしたりクンクン匂いを嗅いだりすること。髪の毛は柔らかくて、匂いはまだ赤ちゃんに近い匂い。そんな幸せな瞬間を見返りとして母ちゃんは今日も椅子と化す。

そのうちに母ちゃん椅子も要らなくなるだろう。友人のベテランお母さん達が良く言う  子供が成長して手離れしたら寂しいよ、何かぽっかり穴が空いたみたい  ってやつ。私はどちらかというと  "早く大きくなってくれー、早く自分でおマンマ食べてくれー、外食に饂飩はいい加減もう飽きたー、早く母ちゃんにフリーダムをーーーー"と切に願っているタイプの母親なので良く理解出来なかったんだけれど、母ちゃん椅子卒業  は将来ふとした瞬間に寂しいと思う事があるかもしれないな、と思った。床に座った時何かが足りないと感じた時、それはちいこいゾンビ小坊主の重みや匂いや温もりなのだろうなぁ、と椅子になりながらぼんやりと想像をし、トイレを我慢する母であった。

 

 

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